ラインというアプリが人気だ。ツイッターもまだまだ元気。児童生徒の情報機器利用については、これまで幾度となく書いてきたんだけど、まだまだいきます。

一昔前、「学校裏サイト」というのが流行した。おもしろいもので、誰も書かなくなれば見向きもされないというか、色々なゴシップが飛び交うから盛り上がるのであって、すっかり下火という印象。

中傷を受けても、誰からか分からない恐怖や、それが衆目にさらされ続ける不安、あるいは自分のことがどこかで書かれているのではないかという疑心暗鬼。「裏サイト」なので学校とは関係ない、というわけにもいかず、学校現場では少なからずそういった指導に時間をとられたのではないかと思います。

裏サイトの特徴としては、あくまでも掲示板の体裁なので、基本的には誰もがアクセスできたこと。後に、パスワードを知っていなければ閲覧できなかったりとか、携帯電話からでないと見られないとか、そういったことで「大人」を排除しようという向きもありましたが、自分の子、あるいは児童生徒が中傷を書かれているのを放っておくわけにもいかず、色々ないたちごっこが繰り返されていたと聞き及びます。

法律、表現の自由とプロバイダの情報開示の指針、サイト管理者の権限と責任の所在、学校の権限。そんなものがそれぞれの事情を抱えながらも、結局は解決の糸口は見いだせず、(それをあえて否定も肯定もしませんが)なしくずしにブームが去り、というか、新しいメディアに移行した結果の今なのかなと思います。


パスワードは知っていれば誰でもアクセスできる。「先生」に協力者たる「生徒」があれば、そのサイトを隠密に閲覧することも可能でした。

しかしながら、SNSが浸透しまくった結果、合言葉を知っている・いないではなく、一人ひとり個別に閲覧のパーミッションを設定できるようになった。どんなに近づいたとしても、「フォロワー」でなければ、その中身は見られない。自分が何者であるかを明確にしなければ、そこは閲覧することができないんです。

(恋人募集中の美男美女のフリをして、フォロワー申請してみるっていうのも手ではあるけども、それがバレたときの大人の信用の失墜具合を考えれば、やめておいたほうが無難かなと思います)

正直に「先生」ないしは「保護者」であることを明かしては、多くの場合、おそらく申請しても受け入れてはくれないだろうし、パーミットされたとしても、大人たちが知りたいような情報はそこにはないでしょう。

保護者の権限で、ネットワークを利用できないようにすることはできても、どんな交流を持っているかは絶対に分からない、子どもたちの世界が広がっています。

Lineなんか最たる例で、誰と何を話しているかはつきとめようがない。グループをつくって、グループ内だけのコミュニケーションをとれたりもできるわけだけど、そういうのって把握しようがない。

最近の小学生事情をそこまで熟知しているわけではないけども、「~~さんをラインのグループに入れてあげない」→「仲間はずれなんてしないで、~~さんもグループに入れてあげましょう」なんてことが行われているんだろうか。(そんなことってしていいの?)学校外の個人の携帯端末のことにまで、小学校の先生は口を出すのか(出さなければいけないのか)。

逆に言えば、どうしたって見ようがないのだから(子ども本人から見せられない限り)、臭いものに蓋というか、大人が見て見ないふりができるという点で、学校裏サイトよりもラインのほうが都合がいいのかもしれない。誹謗中傷その他人間関係のトラブルがあったところで、プロバイダやサイト管理者の責任も問わなくていいし(これって実はすごく大変。学校は強い権限はなにも持っていない)、まさかアプリ開発者の責任は問えまいよ。学校としても、そんなものには関知していないという体裁をもしかしたらとれるかもしれないので、それは所有者たる親の責任ということで、なんか丸く収まっているのかも。


悪いことばかりではないし、使用することそのものが問題だとは思わないものの、大人たちがよく分かっていないものを、子どもたちが使い倒している様はやはり滑稽。

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