軽率だった。自分でも、冷静さを欠いた行為だったと思う。では、なぜ僕はあのとき、店名を挙げるという、多くの方からお叱りを受けるような愚挙に至ったのか。ここに記しておきたい。
このあと、二言三言やりとりがあったかと思うが、残念ながら記憶が定かではない。だが、店主が最後に言った言葉だけは絶対に忘れない。
「これがうちのスタイルなんで」
その言葉はとても冷たく、これ以上のコミュニケーションを拒むひとことだった。扉を、閉ざされた思いがした。この時点で、僕は完全に思考停止となってしまった。
彼はTwitterで、「うちのスタイルだなんて言ってない」と否定しているが、なぜそんなウソをつくのか。もしくは、記憶から抜け落ちてしまったのか。だけど、僕は絶対に忘れない。
当日夜のTwitterでは、店名を公開した理由として「僕のように、こんな悲しい、人間としての尊厳を傷つけられるような車いすユーザーが一人でも減るように」と書いたが、その思いにウソはない。だが、あの日の僕は、あきらかに正常な判断能力を失っていたことも、あわせて告白しなければならない。
どんどん大きな話題になっているようなので、ブログを見にいってみました。上3つはそこからの引用です。
イタリアン入店拒否について
http://ototake.com/mail/307/
初めに断っておくと、障害を持った方に対しての飲食店の対応問題ではなく、インターネットを活用した情報発信の方向性の一つとして、私はこのトピックに大いに興味を持っています。
ツイートの内容について、「軽率だった。自分でも、冷静さを欠いた行為だったと思う。」と書いておられますが、このブログの段階でも、まだ軽率かつ冷静さを欠いているのではないかと見受けられます。少なくとも、「なぜそんなウソをつくのか。もしくは、記憶から抜け落ちてしまったのか。だけど、僕は絶対に忘れない。」という投稿は、あきらかに正常な判断能力がある状態ならばしないでしょう。
「言った・言わない」は当人のみが知る話。だけども、「なぜそんなウソをつくのか」は世界中の人に向けて放ってしまった言葉。
少なくとも、以前から有名な著者・教育委員・スポーツライター・教員であった乙武さんが、この話題がために、日本中に名前を知られることになった一介の店・店主に対して「ウソをついた」と書くことは、あまりに軽率。
「なぜ僕はあのとき、店名を挙げるという、多くの方からお叱りを受けるような愚挙に至ったのか。」と「愚挙」と認めているにもかかわらず、重ねて店主を攻撃するような発言というのはいただけない。結局のところ、こんな愚挙に至らしめたのは、店主のせいだと言わんばかりの、この対応ははっきりいってまずいでしょう。
ツイートに対して冷静さを欠いていた、愚挙と認めるのであれば、自分の非をまず(不本意であっても)認めたうえで、決して個人攻撃にせずに、社会全体の問題として、自分もこういうことを心がけていくから、世の中もこういうものになっていけばいいのになあ(決して、こうなるべき、と書いてはいけない)ぐらいのふりかえりに留めておけば、だんだんと終息に向かうんだけどもなあ。
幕引きがあまり上手ではないというのか、あまり注目されている認識がないのか、いやいや、それを超えてまでもという意気込みなのか。
対店主との構図を続けたいのであれば、そんな強硬姿勢も悪くはないです。あくまでお前が悪い、これまでそんなことはなかったんだ、お前だけなんだ、という姿勢であれば。
ただ、社会全体に対する問いかけとするならば、このままだとあまりいい印象がないでしょう。乙武さん自身がそのことを是とするかどうかは別問題にせよ、事実大きな影響力を持った方ですので、このことが障害を持った方の意見の代表のようになってしまうと、それに対する危惧も出てくるでしょう。
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そんな思いが、店名を公開するという安直な行為に結びついたことには、深く恥じ入るしかない。「こんなひどい対応をされた」と、普段から応援してくださっているみなさんに泣きつきたかったのだ。愚痴りたかったのだ。そうでもしなければ、とてもやりきれなかったのだ。
そもそもは、応援してくれているフォロワーの方に、やりきれない思いを吐露したかったというところから始まった本件。
追記のブログは、実は「僕に対して批判的なみなさんが、このブログを読んで考えを変えてくださるとは思っていません。でも、ウソをついてまで、何かを偽ってまで釈明しようという気にはどうしてもなれませんでした。ここまで書いたことが、あの夜に思ったことすべて。これ以上でも、以下でもありません。」という言葉で結ばれる。
だけども、「あの夜に思ったこと」ではなくて、いろいろな騒動を受けてなお、今、どう思っているかのほうが知りたいと思うのだけどなと。
「あの乙武さん」が、今回の出来事も加味された上で「あの乙武さん」と、多くの人の記憶が変わるのは残念な気がします。自身の信念を突き通す姿勢というのが伝わってくるにはくるんですが、それよりも、マイナスなイメージがつきすぎた。
元を正せば、障害者云々というよりも、コミュニケーションの行き違いの問題じゃないのかなと思うんですよ。たまたま乙武さんが障害を持った方で、有名であったというだけで。
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一度ネットに書いたこと、特に有名な方の発言は、たとえ削除したとしてもずっと残ります。それはもう、ずっと。発信したことをなかったことにはできないけども、追記ならいくらでもできる。
もし私が個人的な知りあいであれば、注目度が高いうちに、後味が悪くとも、確実に終息に向かうような追記を行うことを強く勧めたい。公人であろうと、有名であろうと、生身の人間には変わりないので、「あの乙武さん」が、「あの乙武さん」になるのは、なんというか悲しい。
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