「仕事を諦めるか、子どもを諦めるか」
2014年4月22日 趣味昨今の、ワークライフバランスや女性の社会進出の議論の中で、ネットユーザがコメントしていた強烈なフレーズです。
「仕事を諦めるか、子どもを諦めるか」
極端なではあるけれど、これがこの国の実態なんだと思いました。もちろん、これは本来あるべき議論ではない。父と母、どちらが大事かとか、長男と次男、どちらが大事か、というような不毛な議論であり、そもそもそんな大切なものを比較しようということがおかしい。
だけども、現実問題、天秤にかけなければならない家族像が増えた。若い世代では共働きを選ばざるを得ない。だけど、育児も十分してやりたい。そうはいっても、保育所は不足している。夫の協力も得難い。しかし、専業主婦になるほどの収入はない。仮に家族がなんとか食べていくことはできても、教育に十分なお金をかけることができない。
自己責任論が普及しすぎて、「それもあなたが選択した結果だから」と言われてしまうと、もうどうにもならない。
仕事を辞めても、元の待遇では復職できない。子をもうけることを躊躇していたら、高齢出産になってしまう。
「なるようになる」「親がいずとも子は育つ」そこまで割り切れる人は、それでいい。いや、そういう人であっても、きっと途方もない苦労を背負う社会だとは思う。(もちろん、苦労だけでなく、かけがえのない喜びというのもあるのだと信じたいものですが)
そんな負の側面を見せ伝えられて、若い世代が「覚悟を決める」のは難しい。
「仕事を諦めるか、子どもを諦めるか」
収入を得る側面もあり、仕事はなかなか諦められない。子がいたところで、ある程度のお金をかけようと思えば、やはり仕事はそこそこにはできない。
じゃあ、子どもを諦めなければいけないのか。そんな社会は残念すぎる。仕事は明日の食卓に直結するけど、子はそうでもない。子どもをもうけなくとも、生活は立ち行く。じゃあ、子どもってそんなにも重荷なのか。無計画無責任な子作りには反対だけれども、そこまで綿密なプランとビジョンがなければ、子をもうけるべきではないということなのか、諦めなければならないのか。
そこまでの将来像が描ける若い世代はそんなにはいません。
諦めなくてもいい社会。それから、子が待ち望まれ、夫婦が必要以上の苦労を強いられない社会になっていくことを願ってなりません。
「仕事を諦めるか、子どもを諦めるか」
極端なではあるけれど、これがこの国の実態なんだと思いました。もちろん、これは本来あるべき議論ではない。父と母、どちらが大事かとか、長男と次男、どちらが大事か、というような不毛な議論であり、そもそもそんな大切なものを比較しようということがおかしい。
だけども、現実問題、天秤にかけなければならない家族像が増えた。若い世代では共働きを選ばざるを得ない。だけど、育児も十分してやりたい。そうはいっても、保育所は不足している。夫の協力も得難い。しかし、専業主婦になるほどの収入はない。仮に家族がなんとか食べていくことはできても、教育に十分なお金をかけることができない。
自己責任論が普及しすぎて、「それもあなたが選択した結果だから」と言われてしまうと、もうどうにもならない。
仕事を辞めても、元の待遇では復職できない。子をもうけることを躊躇していたら、高齢出産になってしまう。
「なるようになる」「親がいずとも子は育つ」そこまで割り切れる人は、それでいい。いや、そういう人であっても、きっと途方もない苦労を背負う社会だとは思う。(もちろん、苦労だけでなく、かけがえのない喜びというのもあるのだと信じたいものですが)
そんな負の側面を見せ伝えられて、若い世代が「覚悟を決める」のは難しい。
「仕事を諦めるか、子どもを諦めるか」
収入を得る側面もあり、仕事はなかなか諦められない。子がいたところで、ある程度のお金をかけようと思えば、やはり仕事はそこそこにはできない。
じゃあ、子どもを諦めなければいけないのか。そんな社会は残念すぎる。仕事は明日の食卓に直結するけど、子はそうでもない。子どもをもうけなくとも、生活は立ち行く。じゃあ、子どもってそんなにも重荷なのか。無計画無責任な子作りには反対だけれども、そこまで綿密なプランとビジョンがなければ、子をもうけるべきではないということなのか、諦めなければならないのか。
そこまでの将来像が描ける若い世代はそんなにはいません。
諦めなくてもいい社会。それから、子が待ち望まれ、夫婦が必要以上の苦労を強いられない社会になっていくことを願ってなりません。
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