えー、ちょっと何それ。すんごいロマン。いいねいいねえ。

ガラス玉ってところがまた憎いよなあ。たまらんです。

小説の1篇でもできちゃいそうな、わーってなるよ。わーって。




翻訳コンシェルアプリなんてなくっても、辞書すらなくても。1800年前、人々は異国の人とちゃんと交流を持てていたんだよなー。
シャープがんばれ、超がんばれ。


今のケータイも大好きで、ずっとずっと使い続けたいぐらい好きなんだけど、次のケータイもシャープじゃなきゃいやなんだよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!



国内メーカーの中でも、これ以上ないってぐらい、贔屓にしてるメーカーなんです。持ち直してくれなきゃ困る。


ユメミル

2012年9月6日 趣味
映画みたいに、空をとんで、屋根の上もジャンプしていけそうな、あの感覚はどこにいったろう。

そういう画を、いつか撮りたいと願っていた。

どこにいったんだろう、本当に。


歩く時間。本当になくなってしまった。意図的にそうした部分もある。そういう時間をお金で買う時代。

今も空に憧れて。


かみひこーきが、飛ぶといい。


目の前のチャンスをしっかり獲得できたら、多分次のフィールドまでやってくるでしょう。

もう1回しかチャンスはないから、どうかここでという気持ち。傍観しているのは、余裕はあるけども、スリルには欠けるね。

自分もとおってきたからこそ、一緒に通過したかったなという思いもあった。少し、時期を間違えただろうか、なんていう結果論。

だけども、もうあと10年はこういう逸材は出てこないだろうなというのはなんとなくわかる。

あんなのはもう絶対に揃わない。


俯瞰。良いようで、あんまり良くない。

だけども、どこかでやっぱり、しっかり決めてくるんじゃなかろうかという期待。


期待は人を伸ばす、絶対に伸ばす。

音階

2012年9月3日 趣味
今年は本当にすごい年。2年先も3年先も分かんないけど、これほど怒涛ってことはないんじゃない、ってぐらい。

3年経ったら、もっと経験していることも増えて、もっといろいろなことがルーティーンに入れられるはずだし。

最近、ちゃんとしっかり文章書いてなくって、数年前書いたものを読むとみずみずしすぎてどうしようって思う。

じっくりじっくり、あの頃みたいなものが書きたいのに。

どうしても世界がせまくって、あの頃みたいに歩いている時間も少なくって、見る世界も早く流れていって、息をする感じも変わってしまった。


だんだんと月が大きくなっていく空、手入れされた庭木、よそのお宅の夕飯のにおいをかぎながら、ちょっとほっとする帰り道。あんなふうに、最近、歩いていないな。

鳥が飛ぶところも、稲穂が揺れるところも。そんなに田舎育ちでもないけども、そういうのを見ながら過ごす時間は大切だったな。

何かそういう、ものを見て感動っていうのが最近、すごく少なくなってきてる。人を交流を持って、情動的になることもあるけど、そういうのとは違う、はたらきかけなしの何かを受け取りたい。


久しぶりにマクドナルドのテリヤキを食べたんだけど、もうちょっとボリュームがほしいなって思った。

たまごとか、いいよね。

それってあれか、いわゆるテリタマってやつか。確か季節限定の商品。あと、月見バーガーっていうのもあった。

なんでたまご系は年中ないんだろう。


そんなに年中マクドナルドばっかり食べてるわけじゃないけど、だからこそ食べられたらいいよなー。


旅行の日程

2012年8月28日 趣味
旅行の計画を立て誤るとつらいな。

予約した頃は、結構気持ちが盛り上がってたんだけど、日にちが近付くとだんだんひるむ。はじめてというのもあるけれど、ちょっと気軽にはいけない旅行を計画中。

いつかは行きたいなーという気持ちで、今年はちょっといろいろチャンスだったので、勢いで手配したところもある。だけどまあ、そこも埋まる寸前ではあったので、やっぱりハードルが高いなあと思ったり。

もうちょっとまったりしてる予定だったんだけど、なんかそれどころじゃないぐらい忙しくってどうしよう。だからといって、来年にしたって予約取れたかどうかあやしいなーというところもあるし、来年のその時期は休みにくいかもしれない。ああ、その可能性は捨てきれない。

行きたいところではあるし、まあなんだかんだで行くように準備はするんだけど。

これだけに専念できたらどんなにいいか、そんなむしのいい話はないけどもさ、なんか旅の支度が義務みたいで苦しい。

今年はなんかホントにハイペース過ぎた。来年は落とせるところ落とそう。


なんだかんだでまだ泣けてないな。別に、アイドルでもなんでもないんだけどさ。

流行りの一人カラオケもしたいんだけど、喉を温存しときたいので結局機会を逃している。別に、やっぱりアイドルでもないんだけどさ。


あと2週間ぐらい頑張ればいいのかな。そういいながら、もう2ヶ月くらい経ったって知ってる。

むつかしいな。


自分だけじゃない、って言い聞かせながら、でも自分だけ過剰な負荷がかかってる気はしている。

人は私にどれだけ負荷がかかっているか分かんない。同時に、人にどれだけの負荷がかかっているか、正しく理解なんかしていない。

ちょっとよりかかりたい。ちょっとですむかな。
思いがけない音楽を聞いて、あああの頃聞いていた曲だなと思い出す。

あれは寒い季節だったな。春はもうすぐとは言いながら、まだまだ雪が降っていてとてもそうとは思えなかった。新しい春はどこでどうしてるだろうなんて考えながら、不安があったような気がする。

ちょうど節目のころで、でもあんまり覚えてない。

小さい子どもを育てている人の言葉に印象深いものがあった。幼子を育てるのに必死で必死で、覚えてないことのほうが多いのだと。

何事も、はじめというのはそういうものなんだろう。

私には子どもというものがいないので分からないのだけれど、育児においてもPDCAを回したりするんだろうか。

夫婦ともにそういった就労キャリアがあって、そういう意思決定の方法になじみのあるところは、家庭内においてもそうだったりするととっても興味深い。あるいは、そういうことが仕事においては定石にあってる夫婦であっても、家庭では別なのだとしたら、それはそれで大いに興味深い。



ぐるんぐるん、まわせたらいいんだけどな。
まわんないよな、なかなか。


なーんも変わってないような。
そんな気がする。

今がんばってる気になってるけど、当時からするとどうなんだろうな。
この夏はスイカにはまり、中でもカットスイカを好んで頻繁に食べてました。近所のスーパー3つぐらいかな、ぐるぐる食べてみたんだけども、圧倒的にA社のカットスイカが上手い。

時間が経っても、みずみずしさと歯ごたえが失われない。ちゃんと甘いし、ぺしゃっとならない。あと、なんといっても種がよけてあるので食べやすい。

3点目に関しては、もったいないような気もするんだけど、食べやすさが全然違って、まあそのぶん割高なんだけどさ、やっぱり違うなあという印象。

夏の後半は、断然A社のスイカ食べてました。

スイカの季節も終わるなあ。桃とかぶどうとか梨とかが出回り始めました。

秋になると、やっぱり何か特定のものにハマっていて、そればっかり集中的に食べていたような記憶があるんだけど、それがなんだったのか思い出せない。

翌日の仕事なり学校なりに意欲的でない。具体的に不愉快なことがある場合から、特に苦痛があるわけではないんだけどもなんとなく億劫な場合まで。

嫌だなあ、行きたくないなあと思うから、なかなか寝付けないし、眠りに入らない。あるいは、仕事や学校よりも安らげるものがあると、なかなかそれがやめられない。

かくして、だらだらと寝る時間が遅くなって、次の日起きるのが辛くなって、仕事なり学校なりがますます負の対象になっていくんだけど。同時に、家で過ごす時間がもっと大事な時間になって、だけどもそれを続けられないことがストレスになっていくんだけど。


休暇明けは、特にこういうの増えるよねえ・・・。

仕事なり学校なりになんか楽しみが見つかるのが多分解決策なんじゃないかと思うんだけど、それもまあ、なかなかねえ。見つかるというよりは、見つけるほうが手っ取り早いんだけども、そうそう気持ちの持ちようも変わらないよね。

どうせやるなら楽しんだほうが勝ち、とはよく言ったもの。それはまあそうなんだろうけど、勝ってる人がいるということは、負けてる人も多分いるってことでしょう。
自分の中でわりともう今年は終わってて、来年どうするかなんてことを具体的に詰め始めながら、「来年のことを言うと鬼が笑う」ということわざをふと思い出す。

いいキャラしてるよなあ、鬼。

現代は何もかもが長期的ビジョンを元に行動計画が策定されて、個人レベルでもリスクコントロールに必死になったりして、鬼もそろそろ笑ってる場合じゃないのでは。なんかこう、現代人との価値観の相違に、ぽかんとして呆れながらも取り残されていそうな気がする。

鬼はきっと、豪胆に笑っていたんだろうな。

近代が成立する前のおはなし。


現代人があまりにそういうことを疑いもなくやるもんだから、鬼もきっと疎外感があるはずだ。マジかよ、と思いながらも、もはや笑えないレベルだなとかそういうところまで社会は変わった気がする。


来年どころか、数十年先の未来に向けて生きなければならない。そんなつもりはないものの、可能性を恐れて保険に入る時代。そんときはそんとき考える、なんて発想は通用しなくなってしまった。

「情けは人のためならず」という諺がよく誤用されているけども、「来年のことを言うと鬼が笑う」というのもそのうち、「来年のこと?視野が狭いね。20年は先を見なきゃ。そんな直近のことしか考えられないなんて笑われるぞ」というふうに転じて使われる日が近い将来くるかもしれない。


音楽に救われるというのは、結局のところ問題解決には結びついていない「救い」であって、気の持ちようの部分の「救い」に他ならないのだけども、それだけ、人間の心はストレスにさらされてボロボロということなんだろう。

今、人生の指針を見失いかけて、周りにあるものもどう向き合っていいか分からなくて、時間もほしいけど、機会もほしい、結局逃げ道を探してるんじゃないかという向きもある。

あまり関わりたくないものも多くて、だからといって無視もできずに。

心というのは難しいな。ここ数年、安定してきたはずだったのに。


どう生きるのがよいのか。あるいは、どう生きることが可能なのか。どんな道が残っているかな。


口を割ってしまったら、ある面で救われ、ある面で苦しみを得た。

後押ししてくれたロックンロール。終わりまで支えてくれたロックンロール。

そんなものに救われるから、大人として、揺れるんだよという向きもある。
最初に持った携帯電話がシャープ製だったので、とても愛着のある企業の一つです。

J-SH010、いい子でしたよ。

メインメニューの操作性がよかったな。上下とFキーだけでいいっていうのは、親切でよかった。

そうそう、サブディスプレイが最高にかっこよかったんだ。ここに表示させる画像はちょっとこだわっていたりして。

コンピュータじゃなくて、手のひらサイズの機械を触ってる感じがすごく好きだったな。スマートフォンばっかりの最近には、ちょっとない感覚。

コンピュータは持ち歩いてやんないけど、ちっさな家電なら連れて歩きたい。

それ以来、家電を買うときは結構シャープ製品を選んでたりして。微力ながら応援してます。

やばい、つらい。

こんなときこそロックが必要なのか。

いや、そんなことしてる場合じゃないのか。


心も結構ヤバいけど、体もそろそろ限界かもしらんね。

なんだか最後は、拷問を受けているような気分だった。

絶対口は割れないぞ、的な。

ここでは口は割れないんだ、的な。


打開策なし。検討の余地もなし。コネクションもなし。


孤独に近いけど、孤独とは多分言わない。
孤立というのかな、ちょっと違うな。


しかし、全く、何のいわれがあって。

あと2日

2012年8月1日 趣味
あと2日したら、思いっきり泣いていいよ。
だから、あと2日、頑張ろう。



泣いても解決にはならない。そんなことは分かってるけど。

不条理な世の中。幼児退行もやむをえないけどもほどほどに。

苦しいけど、苦しいけど、苦しいけど。

多分、来月になったら、また平穏を取り戻す。
何もなかったような顔をして。



夜明けの決意

2012年7月30日 趣味
終わりが来る。また新しく、これからを考える。多分、しばらくは引きずる。いいことも、よくないことも、色々なことに向き合って。


私は、立派な大人ではないけど、真摯にやっていきたい。いつか、夢もかなえたい。

その先、何があるかは分からないけど、もしかしたら、続けられないかもしれないけど。

必ずプラスに変える。これだけは固く決めて。絶対に、無駄にしない。後悔の要因にもしない。

いつか、憧れたみたいに、年を重ねて。どこでそうしてるかは分からないけど、そうやって生きていきたい。
苦しいけども、どうにもならないし、泣くに泣けない。明日、コンタクトが入らないと困るのだ。

だから。
CDを1枚、新しく買う。徹底的に聞く。

解決法になんかならないけど、今自分の中にある気持ちを音楽の中に記憶させる。将来、この曲を聞けば、必ずその当時の状況を思い出せる。


本当はじっくり考えたいし、向き合いたいけども、もうどうしようもない。だから、未来の自分に託して。

今はどうにもならないけど、将来の自分なら、何か見つけてくれるんじゃないかとか。今日のこの経験も、忘れたくない感情も、何かに変えてくれるんじゃないかと。

自分の中にある感情がホンモノだなと思ったら、私はたいがいこうしてます。意図せずタイムカプセルを作ってることもしばしばなんだけど。

当時に比べて、変わったよと言えるときもあれば、また一つ未来の自分に先送りすることもあるけど。若い頃の感情は、大事にしたい。


こんな大人にはなりたくない、と思っていた自分に、いつの間にかなりつつある自分に気づいて、怖くなる。

必死に頑張りすぎると、いろいろ見えなくなる。だけど、いろいろあって、いろいろなことに気づいて、今がすごく怖い。


どうか、未来の自分が、なんとか折り合いをつけて、何らかの意思を持って、強く生きていますように。
フラミンゴが空を飛ぶ映像、壮観だったなあ。

ダチョウ的なアレなのかと思ってたけど、飛べるんですね。動物園のイメージでしかフラミンゴを考えたことがなかったから、すごく意外。

旭山動物園の「ペンギンが空を飛ぶ」行動展示(※本当に飛ぶわけではない)はなかなか感動的だったので、「フラミンゴが空を飛ぶ」展示、やってる動物園とかないのかなあ。・・・記事を読み返してみると、フラミンゴ逃がした園は実は旭山とか、皮肉にもほどがあるでしょ。ちょwってなるじゃないか。



飛んでいってしまったフラミンゴのこととか、飼育担当者のこととか、環境のこととかを考えると、あんまりのほほんともしてられないけどさ。


言い表しようのないスカッと感のある画であったことは覚えておきたい。

すごい勢いで

2012年7月26日 趣味
すごい勢いで憂鬱がやってきた。この感覚は、以前にもあったからよく知ってる。原因もちゃんと分かっている。

泣きたいけども、明日目が腫れるのを分かっていて泣かない。


見て見ぬふり、聞こえないふり。


たとえるならば。

特に希望もしていなかった海外出張を命じられ、そもそも何のための出張なのかもあいまいで、自分に与えられた役割も分からないまま現地に赴いたような。

少しだけ視野が広がって、あるいは視野が広がったと錯覚して、元いたところの嫌なことばかりが目について。

ふと思うのは、転職を勧められているのではないかという勘ぐり。

分かっただろう、こんなところにいてはいけないよという警鐘。

なんて拡大解釈してみる錯乱の状態。


あいまいな状態に、私は弱い。

どこか、行く場所はあるのだろうか。

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