スイカうまー

2012年6月4日 趣味
スイカがうまいと思うようになった。つい最近。

子どもの頃食べたスイカって、ひどく大きく切られていて、食べていると頬のあたりに汁がまとわりつく感じがたまらなく嫌だった。スプーンで種をちまちまやるのも嫌だけど、口の中に大量の種が入り、それを外に出すのもお行儀が悪く、どうにも居心地の悪い食べ物というイメージしかなかった。

それが最近、カットスイカの存在で、私の中のスイカ認識が変わりつつある。

なんといっても、手や口、顔が汚れない。服に汁が飛ぶこともない。一口あたりの種の量だって限られているし、お上品だ。

味だってずいぶんいい気がする。みずみずしさを存分に味わえる。初夏の疲れた体に沁みわたっていく心地よさ。

やっぱり、一人暮らしの人間にはこれぐらいのサイズでいいんだ。どうせ、種をとばすような縁側もなければ、風鈴をつるす環境でもないんだし。

そもそも、私たちの世代において、蝉時雨の中に縁側でスイカなんて、田舎に帰省したときのレクリエーションであって、日常的なイベントではないのだし。


これが平成のスイカの味なんじゃないかなと思う。塩なんかかけなくたって、十分に甘い。

voice

2012年5月31日 趣味
CDガンガン聞いてるのは、音楽もいいけど、声に惹きこまれてるからなんだろうな。

昔別れた人の歌、動画サイトで聞けることは知ってるけども、聞けない。未練たらたらみたいでかっこ悪いし、いろいろな人に合わせる顔がないので。


ヘッドフォンから聞こえてくる歌声。
高い声、すごくやさしくて。
声の出し方と質が、やっぱりよく似ている。


多分、その音域が純粋に好きなんだな。
そう思うことにする。


マネジメント

2012年5月22日 趣味
ファンとアーティストとの距離が近いイベントは、魅力といえば魅力なんだけど、そのぶんしがらみも多い。

アーティストとの距離の取り方。他のファンからの視線。顔なじみのファン同士のやりとり。

男性メインのグループで、女の子のファンが多いところは泥沼。いや、女の子に限らず、女性と言い換えてもいいかも。

最初3回目ぐらいはいいんだけど、それを超えると面倒になる。たがいにあいさつするかどうかとか、タイミングとか、どちらからとか。

話しかけることもないような、いわゆる雲の上の存在なら、たがいにキャーキャー言い合って楽しい期間は長いんだけども、アーティストとの距離が近いとそうもいかない。羨望、嫉妬、侮蔑、嘲笑。

ライブは楽しくても、ライブ会場はあまり居心地がよくなくて、そのうち、アーティストとのコミュニケーションも苦痛になってくる。見栄、プライド、演技、嘘。

だからといって、イベントが終わるやいなや会場を飛び出すのも、なんだかキマリが悪い。女の子2人とかで、つるんで行動する子が多いのはそういうのもあるんじゃないかな。



CD買っちゃうと、わりと満足して、次第に足が遠のいていく。本当はイベントに顔出したいけど、面倒だから敬遠。私だけならいいんだけど、そういう人、結構多いんじゃないかなあ。

固定のファンというのが、どれだけアーティストを支えられるものかは知らないけど、そうやってファンの新規参入が阻まれてるのはもったいないことだなと思う。

ファンサービスも大事だけど、しない戦略も大事。

パフォーマンスの能力もさることながら、グループとしてどのような方針でやっていくのか定めていくこと、特に、事務所等に所属していないグループにとっては、そういうものを自らマネジメントしていくような能力も求められてるのかなと思ったりします。


とあるアコースティックデュオのメインボーカルの男性、この人の声がすごくいい。高音なんて本当にうまいなあと思う。楽器の演奏技術もあり、リズム感もあり、ちゃんと歌詞も書ける人。メッセージにのせて歌える人。年々、アレンジも上手くなってるなあと感じる。

本当に素敵な方です。


・・・

昔交際していた男の人に、とてもよく似ている。その人も、歌を歌う人だった。風の噂で知るところによれば、やっぱりその彼も、今もまだ音楽の道の途中にいるみたい。

最近、先述のデュオのイベントに行ってきた。まだまだ、メジャーとはいえない彼らなんだけども、真摯に歌っている姿がとても素晴らしかった。

優しい声に、その件の彼を思い出していたとか、そうじゃなかったとか。あの人も、こんなふうにどこかの街中で、いい歌を歌っているのかな、とか。

多分、もう会うこともないんだろうけども、いつか何らかのメディアを経由して、また素敵な歌が聞けたらいいなあ。

・・・

メジャーな歌手もいいけども、マイナーな歌手ばっかり好んで聞いてるのは、少なからず件の彼のこともあるんだろうな。

彼と直接は関係なくても、そういう、これからのアーティストたちに目を向けていたい。大きく取り上げられることはなくても、いいものを持った人たちを応援していきたい。

・・・

そう思えるくらいには、いい恋だったんだろうな。

だけど、恋だったんだろうな。


ちょっと前にも書いたトマトジュースブームはまだまだ続いてるんだけど、これがなかなか難しい。

何も考えずに買うと、まず間違いなく失敗する。

食塩が入ってるものとそうでないもの。
トマトだけのものと、「野菜ジュース」。

見た目はどれもペットボトルに赤い液体なので、区別できない。ちなみに私は食塩無添加の100%トマト(濃縮還元は可)にこだわりがあるので、間違えて買うとショックは大きい。野菜ジュースなら、それはそれでまあ、デザートにはならないものの、食塩が入るとなんかダメだなあ。

2重にショックだったのは、今手元にあるカゴメ野菜ジュースにはにんにくが入ってるということ。たった今パッケージ見ながら気づいた。

飲んでるときはあんまり分からなかったんだけど、結構朝食のときなんかに飲んだりもしてたんだけど、これってもしかして控えたほうがよかったんだろうか。

においっていうのは、自分よりも相手のほうが分かるもののようだし、怖い。誰かに聞くに聞けないあたりももっと怖い。自覚がないおそろしさ。


誰かに頼んで飲んでみてもらえばいいのか。
東京―大阪とかだとあんまり実感しないんだけど、200kmぐらいの区間とかに乗るとこれはものすごいことだなって感じる。

150kmとかって、まあ頑張れば在来線にのんびり揺られて2時間半ぐらいですか。急ぎならアレだけど、我慢できない時間ではあるなと思う。各駅に停車とかだとちょっとイライラするかもしれないけども、まあ日常の足であってこその電車だから、そういう地域もあるよねと思えたら勝ちかな。

それに引き換え新幹線ときたらまあはやいこと。その2時間半をふふんとせせら笑いながら1時間にまで短縮するんだから怖いこと。従来の時間の半分以下とかね、なんていうかもう魔法のレベル。

やっぱり夢の乗り物なんじゃないかと思うわけですよ。開通当初の感動はきっとこれ以上にあったんじゃなかろうか。


・・・

そうはいっても魔法の対価としては特急料金は必要ですね。お金を出して時間を買う。そのぶん出発時刻に余裕が持てるし、移動時間を費やさなくていい、あるいは現地で使える時間が多くなる。

映画「time」の世界だなと思う。

時間は売り買いするものなんだな、と。
中高生のインターネットでの出会い問題について。

保護者の目線でいえば、やはり心配であろうなあと思う。目の届かないところで、顔も名前も知らない人間が子どもと交流を持っている。悪意や下心を持って接近してくる者もいれば、悪意はないにせよ、子どもにはおよそ見聞きさせたくないような情報をもたらす者もある。

100%が害であるとは決して言わないけれども、リスクは計り知れないぐらい大きい。そういうものを遠ざけるための手段としては、やはりフィルタリングソフトとかそういったことになるのだろうけども。

ただ、このソフトの導入というのは、かなり慎重にやったほうがいいと思います。初期のルール確認というか、子に対して親はどういう制限をかけ、どういう管理者権限を有しているかを必ずはっきりさせておくこと。管理者権限というのは別に親の権威とかそういうことではなくて、設定者としてどういった情報を監視できるのかを周知しておく。閲覧履歴を全て見れる状況なのか、リストにかかった件数だけが見れる状況なのか、とか。子どもにだって尊厳はあるので、子には内緒で、何をしているのかこっそり見ているのはおとり捜査のようでよろしくないと思います。

難しいのは、これまで導入してこなかったところに、新しく制限をかけるパターン。問題なんて生じないとタカをくくって自由に使わせておいて、少し不穏なものを感じたから、こりゃなんとか手を打たねばというやつ。

フィルタリングをかけること自体は別に技術的には難しくはないけども、親子間の人間関係ははたして、と思います。

既にウェブ上で、少なくとも子にとっては好ましい人間関係ができつつあり、そこを強制的に断ち切るなり制限するなりするわけなので、親への反発であったり不信であったりというのは多かれ少なかれ避けられない。

特に、オンライン上でのつきあい、チャットなんかに夢中になる子どもの場合、オフラインでの人間関係が充実していことが多いように思います。家庭や学校で孤独感を感じていたり、自分は理解されていないと比較的強く感じている傾向がある。そういう子どもにとって、オンラインでの人間関係は、自分を理解し、大切に思ってくれ、オフラインにはない立場からメッセージをくれる、かけがえのない素敵な居場所となっている可能性がある。ある意味、親や級友よりもよっぽどか分かりあえる人々と感じていることだってある。


もちろん、「だからインターネットって素晴らしいですね」と言いたいわけではありません。


もし将来、わが子がインターネットにアクセスし、親の目の届かないところでコミュニケーションをとるのを少しでも恐れるのであれば、どうか何事もない今のうちに、何らかのルールなりフィルターなりを設けられることを切に願います。

そして、今現在、わが子がそういった問題に直面しているという方には、どうかできるだけ慎重にステップを進めていただきたい。「親なんだから、強硬策がとれなくてどうする」という意見ももちろん大切とは思いますが、家庭のありかたって本当にそれぞれだと思うので。

その方針でずっとやってきた家庭であれば、子も納得するでしょう。だけれども、これまでそんなことを言われずにきた家庭であれば、おそらく親の無理解であったり横暴さに、子はますます孤立感を深めるものと思います。

どうか、親にとっては見過ごせないその交流が、子にとってはようやく手に入れた居心地の良い場所となっている可能性も踏まえながら、軸をしっかり決めて、ぶれることなく事が進むことを願います。子がそういう場所にしか心を許せなかったのはなぜなのか、子がこのような事態になるまで孤立感を深めるに至ったのはなぜなのか、そういったことと向き合うことも重要と思います。





とても長くなりました、最後まで読んでくださった方なんているのかどうかは分かりませんが。



私自身、既に成人し、親元も離れ、今更フィルタリングも何もあったものではないんですが。

いつ、とはあえて言いませんが、オンラインでのある出会いには非常に救われた。中には、今思えば腹が立つようなことも多々ありましたが、多くのことを学んだし、自分にとっては必要であったと感じています。

今ではもう連絡をとることもありませんが、本当に感謝していると、当時出会った人たちに伝えられたらとは思います。

落ちる

2012年5月8日 趣味
いろんな意味のある単語だなあと思う、しみじみ。


ちょっと古いライブDVDをあさってたんだけど、そうはいっても2010年の作品なんだけど、実はそのDVDってそんなにじっくり見てなかったんだけど。

そのメンバー構成でそのアレンジは反則じゃなかろうか、という奇跡の演奏。「落ちる」というやつです、そこでそう来る?ああもう、まいったなあの感覚。

すごいなあ、じゃなくて、まいったなあ、ここまでされちゃ困ってしまうよというような。あなたにそこまでしてもらって、私はどうしたらいいっていうのよ、という心持ち。


今、どうしようもなく脳波を測ってみたい。

組織

2012年5月6日 趣味
「AについてはBだ」と言われるとき、それがどういう立場からの発言なのか明示してほしい。

組織の規定で既に定められていることなのか、規定ということはないが長年の慣例なのか、一個人の意見なのか、肩書を伴った者としての意思決定なのか。

腑に落ちないことは尽きないけども、それを明らかにすることで納得するということはあると思う。

議論の余地があるのかないのか。そもそも意見を聞く気がないのなら、それは明らかにされるべき。意見を求めるような態度を見せるのであれば、それは聞き入れる余地のある場面で行うべきで、はなから聞く気もないのに、形だけ聞いておくというのは不信を生む。

ワンマンでいくのもそれはそれでいいんだけど、中途半端に一個人に戻られると困る。組織の長としてそういう発言をするのであれば、最後までその責任を貫きなさいよ、と。

もうちょっとスマートにできないもんかねえ。

7年前

2012年5月3日 趣味
当時の私のアイドルで王子様、そんな彼らのイベントに行ってきた。

昔ほどにはときめきを感じられなかったのは、多分私もそこまで若くはなくなったから。7年放置してたわけではなく、ちょこちょこ追っかけてはいたけども、まあ当時ほどの熱はなくなってたかもしれないな、と。

私も少しだけ大人になったんだけど、年をとるのは私だけではないね。彼らもやっぱり年を重ねていた。いつまで音楽を続けてくれるだろう、というのはいつも思う。ずっと追いかけていたいな、と思うぐらいには、やっぱり今でも好きなんだけど。

正統派の王子様ではないんだけども、7年経った今でもやっぱりかっこいい。

ある愛をテーマとした曲紹介を聞いて、しみじみとした。最初、彼らの音楽に出会ったとき、今のパートナーとは違う人と交際をしていた。職業だって変わった。

7年前、今現在置かれている自分の状況はどうやっても想像できなかったな。まだ、今のパートナーとは出会ってすらいなかったな。私はどういう志で、今ここにいるのだったっけ。

色々なことを考えながら、音楽を聞いて、ちゃんと聞けていなかったかもしれない。

なかなか悪くない、GW後半の初日でした。
内容よりも言い方の問題の気がしてきた。


なんでそんな言い方しかできないかな、というか、そういう表現を使うならこっちも穏便ではいられないですよ、となってしまう。

すごい悪循環。なんだかなあ。

溝は深まるばかりなんだけども、そういうものなんだろうなあ。

自分ばかりいい思いをしておいて、その裏側ではずれを掴まされてしまった人のことを考えもしない。これで何か成果出せたら、「逆境からの這い上がりドラマ」ができるよ。2時間映画でもワンクールでも全然イケるよ。続編もどんどん出るよ、涙なしには見られないよ。それぐらいには不条理な環境。

ハード面が悪すぎるし、それをカバーするどころか、数名が本当に一部の旨みを持っていってあとは知らんふり。他の人のことなんて考えないから、組織としては弱くなる一方。にもかかわらず、体面は気にするから、不条理な環境にいる弱者の批判はいくらしても平気。


本当に、組織力に乏しい。

ほめられたい。

2012年4月12日 趣味
言いたいけど言えないよー。

自分としては頑張ってるつもりだけど、大して成果が出てるわけでもないし、穴だってたくさんあるの分かってるから言えない。

そもそも、ほめること自体、難しいよね。なんか上からって感じがするから、お互いを尊重し合ってるというか、気を遣い合いながら様子を伺ってるというか、そういう関係では多分成立しないんだろうな。

勤務評価とかそういうことじゃなくていいんです。ただ、頑張ってますねの一言でいい。

大人はどれだけ頑張ってもほめてもらえない。働き始めるということは、ママにもパパにもセンセイにも見えない世界を持つことだと思う。事実、私がどんなことをして日々の糧を得ているか、私の両親は多分理解していない。

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